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埼玉県と群馬県の境を流れる利根川。
東京から新幹線に乗り利根川を越えるほんの少し手前にある町、上里町は畑の広がる落ち着いた町です。
そこで10年ほど前から無農薬で野菜を作っている橋本さん。
以前はご家族と一緒に農業をしていましたが、今はお父様、お兄様、ご本人とそれぞれの形で農業を営んでいます。

取材に伺った日は梅雨前。
ここ上里町は夏が暑すぎるため農業が忙しいのは秋から冬、そして夏前まで。
特に夏前は夏野菜苗の定植、田植え、玉ねぎの収穫など大忙しの季節です。
この日も取材が終わると出荷があるので、と急ぎ足でかけていきました。

無農薬で野菜を作っていると聞くと、こだわっているなと思ってしまいますが、
こだわりはどこですか?と聞くと、こだわっているのは農薬を使って野菜を作っている農家さんの方ですよ。
とのこと。

ご自身はありのまま、昔おじいさんが大きくない自分の畑で、自分たちが食べるだけの野菜を育てていた、その時のままの野菜を作っているのだとお話下さいました。

農薬を使っている人は、この日にこれだけの農薬を使って、どの農薬を使うとどれが大きくなって等々いろいろこだわりがありますよね。でもうちは野菜の持っている力に任せて、大きくなるのを見守っているだけです。
天候の関係で不作な年もあります。

みなさん、不作だからと言って売値を上げます。
でもそうではなく、その年は贅沢しないで過ごせばいい。食べるものだけはありますので、家でゆっくりする。
それでいいと思っていますし、きっと昔はみんなそうだったと思うのです。

野菜が中心の一家。

それは奥様もお子様たちも同じでした。

伺ってすぐに息子さんが案内してくれたのは、この春作った畑でした。
出荷する野菜を作っている畑の一角に建つ自然素材の家。その家と畑の間にご家族で作った畑がありました。
自分が好きなものを植えたという畑には、野菜だけでなくハーブ、低木など食べるだけでなくめでることもできる草木がちょうどこの場所に落ち着いたばかりでした。

ズッキーニはね、お父さんがひと株くれたの。
見て、ここに花が咲いているんだよ!
ここは苺。もうこんなに赤くなったのがあるよ。

そう言って妹を呼びました。

1歳の妹さんは裸足で畑にきて、苺をもぎ取りました。
家からそのまま畑にきて、美味しそうなものを見つける。
一家のいつもの時間。いつもの生活。

庭からつながるキッチンと土間の食品庫は奥様のお気に入りの場所。
食品庫には手前味噌、ぬか漬け、自家製のお野菜が並びます。
パンをこねたり、お友達とお料理を一緒にしたりもしたい。
そう言って奥様が唯一リクエストした大きな木の天板は、意外な使い方でも活躍してくれていました。

ふと見ると子供たちは天板の上に座ってお菓子を食べていました。
意外な発見なのですが、私がお料理をしていると天板に乗ってすぐ近くで見ているのです。
そして子供たちが好きな野菜をそのまま口へ。
切りたての野菜が一番おいしいって知っているのでしょうね。
お行儀は悪いのですが、今しかできないし、うちのルールでいい事にしているのです。
子供たちの方がいろいろ知っていました。

1歳の妹さんがお兄ちゃんに続いてロフトへの梯子を登ります。

まだ1歳なので、本来であればこんな急な階段登らないと思うのですが、産まれた時からここに梯子があるから
登っていくのです。

そこにある。という状況が子供をたくましくするのですよね。

と奥様。


危ないからダメと言ったらそれまでです。落ちてしまったら痛いこともわかりますし、高いところは危ないから
慎重にね。と伝えるようにしています。

きっと野菜もそう。

農薬を使えば虫がつかなくなる。でも使わなければその分不格好だけど、たくましく、おいしさのつまったものができる。

農業は子育てと同じなのだと感じました。

この家が完成するまでは、近くの借家に住んでいた一家。
ここに来て一番うれしいことは何ですかと聞くと、2階の窓から自分の畑が見えることです。
自分の家から自分の畑が見えることほど、幸せなことはないです。と橋本さん。

家が完成した当時、息子さんがロフトの窓から「お父さんの畑だよ」と嬉しそうに教えてくれたのを思い出しました。
きっと息子さんが畑を手伝ってくれる日も、そう遠くはないでしょう。

こうして農家さんの想いを聞くと、お店で並んでいる野菜ひとつひとつが想いを持ったものに感じます。
同じ無農薬の野菜でも、ひとつとして同じものはなく、それぞれを選ぶ。
忙しくて毎日家で食べることはできないかもしれないけれど、少しでも農家さんの想いがみなさんの食卓に並んだら少しだけ豊かな食卓になることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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