interview

こだわり抜いたお産の先に見たものは、神様が創った人体の神秘

山口絵衣
山口絵衣
高橋 小百合(たかはし さゆり)さん
高橋 小百合(たかはし さゆり)さん
助産師

1963年長野県飯山市生まれ。看護師学校を卒業後、東京都の国立精神神経センターに勤務。1冊のお産の本をきっかけに、第一子を助産院で自然出産し「自然なお産を手伝う“産婆”になる」と宣言。その後、助産婦学校入学。総合病院に勤務した後、自宅出産専門でフリーの助産婦として独立。1996年秋「助産院 ウテキアニ」を安曇野市に開業。現在、産婆業を営む傍ら、命や自然をテーマとした表現活動も行っている。共編著書に『それにしても楽しいお産だったなぁ』(学陽書房)、映像&音楽作品に『いのちの訪れ~女たちの祈りの世界~』(Utekiani)など。

助産院とは、子どもを授かったお母さんを心身ともに助産師がサポートし、自然なお産へ導く場所です。
産婦人科のように分娩台での出産ではなく、畳や布団の上で自分の一番楽な姿勢をとるなど、自分なりの出産スタイルを選ぶことができ、助産師からの食事のアドバイスや運動の指導などを受けながら、女性の体が本来持っている力をフルに引き出して自然分娩に臨むサポートが受けられます。
産婦人科との大きな違いは、医師がいないので、医療行為ができないこと。
なので、誰でも助産院で子どもを産めるという訳ではなく、正常な妊娠経過で自然分娩ができるお母さんでないと助産院で産むことはできません。
万が一、出産時に何かアクシデントがあった時に助産院では直ぐに対応できず、提携先の病院への搬送となるリスクもあります。
それでも、助産院で産みたいという女性は大勢います。

自然豊かな山々の夕景が広がる、長野県安曇野市で助産院 ウテキアニを営む助産師 高橋小百合さん(以下、小百合さん)。
ウテキアニは、小百合さんが自宅兼助産院として、今から22年前に開業しました。
出産は人間の自然な営みであることから、お母さんが安心して過ごせるようにと建物もできる限り自然のもので作られ、とてもアットホームで和やかな空気に満ち溢れています。
また、院には看板はなく、特に宣伝もしていませんが、これまで途切れることなく「ここで産みたい」と妊婦さんが扉を叩いてやってきます。

その全てが口コミだそうで、小百合さんの助産師としての強いこだわりと、出産までの10ヶ月の間に作られる深い絆と信頼が、満足度の高いお産に繋がっているんではないかと思います。
ウテキアニでは、お母さん一人一人に真剣に向き合い、これまで約350人以上のお産をサポートしてきました。
小百合さんは、出産を行う時に起きる女性の体の変化を追求し続け、また自身も四人の子供を産んだその経験から、お産における知識や経験を体に染み込ませて、独自のスタイルでお産と関わってきました。
仕事であるお産と家族との生活が共にある暮らしの中で、自分と向き合い、本当に大切なものは何か?を深く深く考え続けて来た小百合さん。
行き着いた先はとてもシンプルな答えでした。
それは、今の時代にもしかしたら、足りてないものかもしれません。
そんな小百合さんから、お産を通して感じたことやこれからのことを伺いました。

生まれたばかりの息子を抱き、宣言「私、助産師になります!」

小百合さんが助産師になりたいと思ったのは、今から30年近く前。
その当時の医療機関は、患者さんに対し、今ほど人間らしい手厚い対応をしていませんでした。
産婦人科も例外ではなく、まな板の鯉ではないけれど、妊婦さんを順番に分娩台で息んで産ませるという、病院側がリードを握るようなお産が主流で、産む側は「これは嫌です」という主張ができないような時代でした。
出産の際も、助産師は妊婦さんとコミュニケーションを取る間も無く、生まれた子どもを処置しては、手袋だけ交換して次のお産に立ち会うという慌ただしい現場だったそうです。

そして、生まれたばかりの赤ちゃんは新生児の部屋に集められ、お母さんと離れ離れで過ごすことが当たり前で、助産師は一人一人の赤ちゃんを抱っこし、ミルクをあげるのではなく、たくさん並んでいる赤ちゃんに端からパッパッパッパッとミルクを口に咥えさして、チュチュチュチュと飲み終わった子に、また端から順番にゲップさせるというまるで流れ作業のような働きをしていました。

時代は、ウーマンリブ運動が起こった後期、その流れもあり、命を迎える出産をもっと人間的に扱って欲しいという女性の主張から様々な出産方法を取り入れる運動が起こっていました。
そうして、病院の分娩台に縛り付けられるお産ではなく、自由に思いのままに自分の痛いときに自分のやりたい格好をして産むという、フリースタイルのお産ができる助産院が増えていったそうです。

小百合さん:
私、元は看護師だったんです。
助産師は、学生の時の実習で憧れたこともあったんですけど、最初の実習で立ち会った出産が会陰切開だったんですよ。
分娩室に呼ばれて入ったら、ちょうど会陰を切る場面でした。
その時、音は聞こえていないはずなんだけどパチンと切ったような音がして、自分が切ったわけじゃないのにその感触もあり、ショックで倒れそうになっちゃって。
その時に助産師はすごく憧れるけど、これは無理だって思った。
その後いろいろあって、東京の病院に精神科や小児科の看護師として勤めてました。
当時付き合っていた彼が、古本屋さんで自然出産の本を買って来て、「これ読んだら」って私に渡してくれたんです。
その本には、「会陰切開ってしないでも出産できる」って書いてあって。
ちょうどその頃、人間的なお産を取り戻そうという活動をしている女性たちが、お産の学校というものをやっていたんですよ。
そこに妊娠もしていないのに彼と一緒に通って、その途中で、よし子供作ろうって思い立って(笑)。
私自身、興味で動く人間だし、ものすごく追求したいタイプなので、人間の体ってどこまで自分の力が発揮できるように作られているんだろうっていう疑問から、自分の力で助産院で産んで、本当にそのお産がすごかったら助産師になろうと思ったんです。
そうして長男を産んだんですよ。
もうね、自然出産ってこんなすごいんだ!って私感動して、生まれたばかりの長男を抱いて、その助産院の助産師さんに「私、助産師になります!」って、分娩台の上で宣言しました。

助産院で長男を産んだ小百合さんは、毎日子どもと同室で過ごしまた。
助産師は、本当に困った時にサポートをするのみで、ほぼ放置状態だったそうです。
でも、初産婦だった小百合さんは、同じ時期に入院していた他の経産婦のお母さんの子どもを接する様子を見て学び、子育てのアドバイスをもらったりして、お母さん同士のコミュニケーションを経て、様々なことを知りました。
例えば、経産婦のお母さんたちがあぐらをかくような体制で膝の上に子どもを乗せて、ゆっくりとご飯を食べる姿を見て、「そんな感じでいいんだ」と真似てみたりしているうちに、初めはビクビクと子どもを扱っていた手や腕もリラックスしていったそうです。
小百合さんはこの時、自身が経験した助産院でのとても素晴らしいお産を、他のお母さんにも経験させてあげたいと思い、何がなんでも助産師になり、開業しようと心に決めました。
その後、周囲の反対を押し切り、助産師の学校に通い、卒業後は病院や長男を産んだ助産院で数年修行を積みました。
そして、実家の近くの長野県安曇野市で住宅兼助産院を開業します。
安曇野市に移住してから、離婚をされて、四人の子どもをひとりで育てながら助産院を営んでこられました。
想像を絶するような忙しい日常がそこにはあったと思いますが、それを持ち前の明るさとバイタリティでやってのけた小百合さんの笑顔には、尊敬せずにはいられない強さを感じます。

「なぜ、そんな危険してまで、助産院むのか?」

助産院は、病院に比べ、不測の事態にすぐに対応が難しいというリスクがあります。
それでも、あえて助産院を選ぶ女性は、何を求めてくるのか伺いました。

小百合さん:
今の産婦人科は、昔に比べて人間的にすごく良くなったところが増えて、そういう意味では、助産院で頑張って産むような時代ではないのかもしれません。
昔はね、助産院って女性の戦いの場だったんですよね、人間的に扱ってほしいっていう。
最近になって、「なぜ、そんな命の危険を冒してまで、助産院で産むのか?」って男性に聞かれるようにもなりました。
でも、例えば、もし今私が妊娠していたら、どんなに良い病院が近くにあったとしても、私はやっぱり助産院で産むことを選択しますね。
その理由は、人間らしい付き合いをお産でもしたいってことかな。
人と人との関係の中で命を迎えたいっていうか、人間関係がある中で産みたいっていう人が来てるのかなぁって思います。
女性の助産師との関係を持って産みたいって人たちが。
出産の時にいてくれた人っていうのは、いつまでも忘れません。
わたしもそうでしたから。
そこは、もしかしたら男の人にはわからないかもしれないですね。

本気の人間関係を築くために命をかける助産師

小百合さんは、本気で人間関係を築くためには、自分の心の問題と向き合うことから逃げてはいけないと言います。
それは、自分の問題が、赤ちゃんとお母さんの命にとても影響するから。
その問題を解決することが、お産を安全に行うためには必要不可欠でした。

小百合さん:
その人との関係性を築くことに本当に命かけてきましたね。
「ここで産む」って言ってくれた人と、私も命かけてこの人と付き合うって決めて。
だから、赤ちゃんを迎えるお母さんの心と向き合うことを大切にしてきました。
赤ちゃんを産むことで、夫婦だけじゃない家族ができるわけじゃないですか。
だから、生まれるまでの10ヶ月間、「どういう風に旦那さんと関わっていくのか」を考えることも、とても大切になる。
私は、一人一人とそういうことを一緒に考えます。
例えば、産んだ人たちに出産費用として、40万円ほど支払ってもらうわけですよね。
産んだ後は「一生相談に乗ります。人生の相談役を助産院でのお産で確保したって思ってくださいね」ってお伝えしています。
出産の時に支払う40万円が高いと思うか、安いと思うかは考え方一つだと思いますが、そういう思いで一人一人の妊婦さんたちと本気で向かい合ってきたかなって思います。

そうして向き合って来た中で、赤ちゃんとお母さんと共に崖っぷちに立たされたように感じる程、自分を追い込むこともありました。
でも、ここで二人を道連れにして落ちないためにも、自分自身を変えることも必要だと、小百合さんは何度も悟ったそうです。

そんな時、小百合さんは、敬愛するハワイのロミロミ(ハワイアンマッサージ)の先生に言われたことを思い出すのです。
「助産師はピュアな命をその手で受け取るのだから、助産師自身はスーパーナチュラルピュアでなきゃいけない」

ずっと見たかった知りたかった、神秘的な出産を経験して…

小百合さんは最近、人間の体は完璧に作られていることを感じた神秘的なお産に立ち会いました。
一体、女性の体はどうやって赤ちゃんを無事に出産するのだろう?と、長年追求してきた疑問に答えをもらったような、そんな体験だったそうです。

小百合さん:
今から二年前くらいかなぁ。
お産が始まり、最後生まれる直前にちょっと生まれなくなってしまったので、手を貸したんです。
経験から、赤ちゃんの向きをクッと動かしてあげたら、ツルっと生まれるかなって思って、お母さんのお腹の上から少しだけ赤ちゃんの体の向きを変えたんです。
そしたら、子宮の筋肉が波のように下から押し寄せるみたいに収縮しはじめ、その感覚が突然手に伝わってきてたんです。
その瞬間、「えぇ!!」って驚いて。
自分の出産の経験から、この感覚って陣痛が来る前の「来そう来そう、なんか来るなんか来る」っていうあの不思議な感覚なんだってすぐに分かりました。

小百合さん:
下の方から、繰り返し波がザァーザァーって来るみたい子宮の筋肉が動いた後、今度は両側の筋肉がグワって赤ちゃんを包みこんで、そして赤ちゃんの背中のが正常に生まれる方面を向いて、そうしてピタッと出てくる場所動いてきたんです。

その感覚は、まるで赤ちゃんを手で抱きしめられたような感じに近くて。
そして、グッて抱きしめたかと思ったら、今度は筋肉の動きが上から流れるような動きに変わったんですよ。
そうしたら、赤ちゃんがウニュって出て来て・・・。
その感覚がわかったのは、私と産んだお母さんだけなんですよ。
私とお母さんだけで、「すごかったね・・・」「・・・はい、すごかったですね」「わぁーすごいことだぁ~!」って感動して。

小百合さん:
なんだか神様を見たようでしたね。

こうやって本当に赤ちゃんをグッと抱きしめて、「愛してるよ」「行っておいで」みたいな、すごいもの感じたんですよ。
そんなすごいお産を見せてもらえて、こんなすごいお産を見ることができて、私は助産師として思い残すこと無し!って思ったんですけど(笑)。
これぞ命の神秘なんだなぁって。
この動きをするように生きた器を作るのは、もう神様しかいない。

こんな神秘的なお産に立ち会えることは、もう二度とないかもしれないと、小百合さんは言います。
これまで何百人というお産に立ち会ってきたけど、きっと最初で最後だと。
お母さんがリラックスしていたことや、筋肉が触れるくらいのちょうど良い脂肪だったこと、小百合さんの手がかなり敏感になっていたことなど、たくさんのいい条件が整っていたからこそ起こった奇跡だそうです。
でも、そんな経験して、とても大切なことがわかりました。

小百合さん:
出産の際に、子宮の中でそういうことが起こってることを知って、助産師としての仕事が明確になりましたね。
その動きを阻害するものを除去することが、助産師の仕事だなって。
阻害する理由が心の問題であったり、骨盤の問題であったり、体の構造の問題であったり、筋肉の動きであったり、栄養であったり、温度だったり、音だったり。
それから、出産に立ち会う人たちだったり。
その一つ一つを解決し、除去していくことが私の仕事なんです。
そして、機械がなくても安全に産ませていくこと。
それから、この場所の空気だったり、静けさだったりとか、建物の中だったりとか、そこに暮らす人たちだったりとかと整えていく。
私は、この家は私の子宮だと思っています。
だから、私の子宮の中に、お母さんと赤ちゃんをお招きするのだから、私は責任持って、心地よい環境に整えていくんです。
赤ちゃんが生まれるまでの10ヶ月は、お母さんにとって人生を考える一時になるかもしれない。
自分の心と向かい合っていく時間が、ウテキアニに来た妊婦さんたちにも良い影響になっていってくれたらと思いますね。

人と人が関わって「愛」を育むことが、何よりも大切

近年、お産の現場が少なくなってきたことや、産婦人科のサービスの向上による助産院の必要性など、様々な思いがあり、ウテキアニは今、過渡期を迎えています。
小百合さんが思う、これからの助産院とはどんなものなのでしょうか?

小百合さん:
お産に関しては、新しいことは新しい人たちがやっていく。
私は、これまでの経験ややり方を、伝統文化の保存のように伝えていこうかと。
私がしているお産のやり方が、これから少なくなっていくので、今のうちに20代や30代の人たちに見せてあげたいなぁって。
見てもらえたら、失わないで済むかもしれないって思いもあります。
あとは、私はたくさんのいいお産に携わって来ましたし、自分自身もとてもいいお産を経験しました。
第一子は、助産院にて自然出産。
第ニ子は、自宅出産だったんですが、とても早いお産でしたので、助産師さんが間に合わなくて夫の手の中で産んでしまいました。
そして第三子は、自宅で水中出産をし、
第四子は、安曇野市に移住してから、自宅出産しています。
でも、いいお産をしたからと言って、それだけだとダメなんだということもわかりました。

小百合さんは、安曇野市に移住してから、離婚をし、四人の子どもたちを女手一つで育てながら助産院をやってきました。
その間に父親が必要だと思ったことは、幾度となくありました。
助産師としてお産という新しい家族ができる瞬間に立ち会いながら、自身の家族のことにも向き合って、家族のあり方を長い間ずっと考え続けて来ました。
そうして見えて来たのは、お産にこだわることよりも、夫婦が向かい合っていた方がいいじゃないかということ。
そう気づいてからは、お母さんと過ごす10ヶ月の間、自然出産ができるできないにこだわることよりも、心に旦那さんへの不満があった時には、その不満と向き合って考え方を変えていくなど、夫婦の問題に関わってきました。
助産院での出産はリスクがある、そのことを心配している旦那さんがいるのであれば、そのこだわりを捨てさせることもしてきたそうです。

小百合さん:
私、いいお産すれば、家族がうまくいくんじゃないかって思った時があったんですよ。
だけど、結論そうじゃなかった。
どんなにいいお産しても、夫婦が「愛」を築き上げる努力をしなければ、「愛」っていうものは育たない。
同じように、どんなにいい家を建てても、そこに住む家族が「愛」を育まなければ、一緒に暮らす意味がない。
だからね、形ははっきり言ってどんな風でもいいと思う。
だけど、私が関われるのはお産しかないから、その自分の関われる場所で精一杯愛情を込めて、お世話をする。
でも、本当の「愛」については、その人と向き合って考えるしかないんですよ。
考えた末のそこから先はもう、神様にお任せするしかない(笑)。
私の勝手な理想だけど、お産に関わったり、家を立てる時にも関わったり、節目節目でその人たちがうまく「愛」を育てていけるように関わり続けていくことができたなら、すごく面白いなぁって。

今は、これだけインターネットが普及し、SNSなどで誰とでも簡単に繋がれる時代になりました。
いい情報を早く手に入れることができたりと便利なことは多いですが、ひどい言葉も簡単に飛び交う世の中にもなり、ネットの情報一つで人は傷ついたり、悩んだりすることもあります。
そういう世の中だからこそ、顔と顔を合わせて関わりを持つことが、とても重要に思えてきます。
人は表情を変えて感情を表現し、言葉が話して通じ合うことができ、互いの体に触れることができる。
その全ての行為が、感情を育てることにつながっていきます。
これも神様の知恵だと、小百合さんは言いました。

人間がちゃんと顔と顔を合わせて関わり合わなければ、「愛」は育たない。
そして、本当に心が満たされている状態だからこそ、人と人との関係の中で「愛」をより感じることができるようになる。
「愛」が無ければ、いつもさみしい。
それは、きっと永遠に変わらないと思います。
これから先、コミュニケーションが高速化や簡素化されていくようになればなるほど、人と会って関わっていくってことが面倒な出来事になっていくかも知れません。
そんな中でも、人と関わり続ける以外には「愛」を感じる方法はないんじゃないかと思います。
「愛」が足りないと感じたら、人と関わること。
そのために、お産という行為があり、助産院があるのかもしれません。

今まで助産院は、お産をする女性のための駆け込み寺のような場所だったのかもしれません。
これからは、夫婦間や家族間の問題を解決するような、家族の駆け込み寺となるといいなと思います。

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