子どもの気持ちを豊かにする、自由な時間を大切に。
- 松岡 享子(まつおか きょうこ)さん
- 公益財団法人 東京子ども図書館 名誉理事長・翻訳家・作家
1935年神戸市生まれ。神戸女学院大学、慶應義塾大学を卒業後、ウエスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学専攻。ボルティモア市立の公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立中央図書館勤務を経て、自宅で家庭文庫「松の実文庫」を開き、児童文学の翻訳、創作、研究を続ける。1974年、財団法人東京子ども図書館を設立。理事長を経て、現在は名誉理事長。 翻訳書に「くまのパディントンシリーズ」(福音館書店)、創作に『なぞなぞのすきな女の子』(学習研究社)、著書に『えほんのせかい こどものせかい』(日本エディタースクール出版部・文春文庫)など多数。
子どもの時、夢中で読んでいた本をあなたは憶えていますか?
大好きだった本を思い返すと、とても楽しかった感情と一緒に、時間を忘れて夢中で読んだあの場所や風景が頭に浮かんできます。
幼い頃は両親や周りの大人に絵本を読んでもらったり、自分でページをめくって絵を楽しんだり、本を読むことで文字が読めるようになったりして、たくさんの楽しい時間を本と過ごしてきたと思います。
本の世界は、子どものわたしたちの日常に「空想」という楽しさも与えてくれました。
例えば、「道を歩いていると突然、動物がしゃべりかけてきた」とか、「箒に乗って空を自由に飛べるようになる」とか、「実は私は異国のお姫さまで、白馬に乗った王子様がもうすぐ迎えに来てくれる」とか・・・。
本の世界観と現実を交差させて自由に空想し、何気ない日常を面白がった記憶も一つや二つ、あるのではないでしょうか?
東京都中野区にある、子どもの本と読書を専門とする公益財団法人「東京子ども図書館」。
この図書館は、都内に4ヶ所あった家庭文庫を母体として、1974年に設立されました。
ここでは、子どもが純粋に本の世界を楽しめるように子どもに向けた様々なサービスを行なっています。
この図書館へ来る子どもたちは、本を借りるだけでなく、大人のスタッフから本の読み聞かせをしてもらえるのです。
時間は閉館時間までなら無制限、子どもが飽きるまで何時間でも何度でも。
また、大人とコミュニケーションを取ることで、子どもは言葉の意味や本を借りるマナーなどを学びます。
この東京子ども図書館を設立し、40余年にわたって理事長を務め、現在は退職して名誉理事長をなさっている松岡享子さん。
絵本の翻訳家や作家でもある松岡さんは、自身が本から得る楽しみや喜び、慰め、励ましを同じように子どもたちにもたくさん味わってほしいと願い、1967年に自宅で家庭文庫を開きました。
そこで、近所に住む子どもたちに本の読み聞かせを行い、子どもが本を読むことで得られる感情や笑顔、そして子どもたちの成長をずっと近くで見守ってきました。
それから50年が経ち、年間1万人を超える人たちが出入りする図書館に成長した今でも、これから育つ子どもたちのために精力的に活動を続けていらっしゃいます。
「くまのパディントン」や「うさこちゃん(ミッフィー)」など、松岡さんが世に送り出してきた本は200冊以上にも及び、日本の子どもたちに世界中のお話を届けてきました。
また、『えほんのせかい こどものせかい』、『サンタクロースの部屋』など、子どもと絵本に関する著書も多数あり、子どもを持つ親たちのバイブルにもなっています。
そんな松岡さんに、森にある家での暮らしや子どもの頃のお話、そして子どもたちに伝えたいことなど、お聞きしました。
森の中での生活は、仕事や生きることへの力をくれる
お話を伺ったのは、仕事場でもある長野県茅野市蓼科にあるご自宅。
標高1200mを超える森の中に佇む木の家です。
松岡さんは東京にもご実家があり、今は二拠点で生活をされています。
蓼科の家は、主に創作活動で使われる家だそうで、自然溢れる環境の中で仕事をするととても集中でき、よい仕事ができると松岡さんは言います。
松岡さん:
この家に来るとものすごく仕事が捗ります。
本当に集中して仕事ができるんです。
『子どもと本』という岩波新書ができたのもこの家での実りだと思いますし、今年出版した『グリムのむかしばなし』の翻訳はとても大きな仕事でしたが、それもこの家でなければ完成しなかった。
東京にいると、いつ死んでもいいような気がするんだけど(笑)、ここに来ると「あ、来年この花が咲くのをもう一度見たいなぁ」とか、なんだかそういう気になるの。
もうちょっと時間が欲しいって、そう思うのね。
松岡さんがこの場所に家を建てられたきっかけは、絵本を通じて知り合った人たちとの縁があったことでした。
12年前、東京を拠点に活動されていた松岡さんは、仕事を通じて知り合った友人の別荘に招待され、初めて蓼科を訪れました。
その時に、この別荘地を運営する会社の社長さんと知り合います。
社長さんは、息子さんが幼い頃に毎晩毎晩読んであげていた絵本が、松岡さんが翻訳した『しろいうさぎとくろいうさぎ』だったこともあり、とても良くしてくださったそうです。
そして、設計の先生も加わって、みんなが松岡さんのこれからの生活を考えてつくった家は、松岡さんが想像していたものよりも、とても大きな家になっていました。
松岡さん:
最初、小さな私の書斎とベッドがあるだけの十数坪の家を作るつもりでいたのですが、設計士さんが「こういう広いスペースを作った方がいい」っておっしゃって、今の家になりました。
この家はわたしが考えたっていうより、周りの人たちのアドバイスがあって「そう言うならそうしましょう」ってできた家です。
わたし、昔から「まぁいいか」って決めてしまうところがあって(笑)。
そうして、奥の広い部屋ができました。
今はそこでお話会をしたり、イベントをしたりして使っています。
冬に「暖炉のお話会」を企画し、約4300人いる東京子ども図書館の機関誌「こどもとしょかん」の読者にお知らせしたところ、九州から北海道までものすごく遠いところからいらっしゃる方もいて、本当に驚きました。
嬉しかったですね。
皆さん、雪の森の中で、部屋の薪ストーブに火を燃やしてお話を聞くということに大感激。
そういう体験が、来てくれた人たちに力を与えていることを感じました。
その時に、こんな山の中で、お話会などの集まりをするのはすごくいいなぁって思ったんです。
わたしたちは、日常を自分では意識的に生きていると思っているかも知れないけれど、実は空気や気候といった外界からの影響を無意識に受けて暮らしています。
森の中での暮らしは、そんな“気づき”を人に与えてくれます。
朝起きて、ちょっと窓を開けると外には木や緑が広がっていることがこの家では当たり前で、自分では知らずにそんな環境からすごく良い影響を受けていると、松岡さんは感じています。
子どもが火に触れることの大切さ
東京子ども図書館の子どもたちがお話を聞く「おはなしのへや」や松岡さんの東京のご実家、そして蓼科の家にも薪ストーブがあります。
何か理由はあるのか、松岡さんに伺いました。
松岡さん:
家の中で火を燃すってすごくいいことだと思っています。
子どもたちのためにも、薪ストーブがあるのはとてもいいことです。
東京には、未だ火を見たことがない子もいます。
「12の月のおくりもの」という、とても有名な東欧の昔話があります。
継母にいじめられて、冬の最中にすみれを取ってきなさいと言われた娘が森に入ると、12の月の精が焚き火をしていました。
娘の事情を聞いた12月の精は、3月に席をゆずり、3月の精が杖を振ると大きくなった焚き火が雪を溶かし、その下からすみれやたんぽぽなどの草花が生えてきます。
娘はそのすみれを摘んで家に帰って行くというお話なのですが、語り手が「3月の精が杖を振ると、炎が燃え上がり・・・」と言うと、「ホノオってなぁに?」と聞いた子どもがいました。
そういう子どもたちが薪ストーブの中で絶えず動く炎を見ると、じーっと長い時間見つづけるんです。
だから、一年に1、2回ではありますが、雪が降った日なんかに図書館の薪ストーブの火を燃してやると、子どもたちはその前で、ただ長いことじっと見ています。
それがあることで、お話に出てくる炎のイメージができるようになり、子どもの想像力も広がっていると感じます。
今は、火は危険なものという認識から、子どもが火に触れる機会は少なくなりました。
火は大昔から在るもので、人に暖かさと明るさをもたらし、安らぎや癒しを与えてくれます。
そういった人の内面から湧き出てくる感情は、今の時代も変わりません。
大人になっても、火を見ると懐かしく感じることがあるのですから、子どもが火を見て感じることは、もっと豊かなものなのかもしれません。
自由な時間は子どもを大きく成長させる
松岡さんは、子どもの頃から一人でいることが好きな女の子でした。
実家でご両親と暮らしていた時も、たまにご両親が二人揃って旅行に行かれると、なんだか嬉しく感じたそうです。
でもそれは、一緒に暮らしているのが嫌だとか面倒臭いとかではなく、純粋に一人でいる時間を楽しめる子どもだったから。
夜、真っ暗闇の中でも怖いと思ったこと一度もないそうです。
一人の時間は、子どもにとってとても大切な時間であることが、松岡さんが翻訳した『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』(こぐま社)にも書かれています。
松岡さん:
わたしは、この家にいることで、一人でいる時間が確保されました。
この家の場所や電話番号を知っている人もごくわずかなので、ここで過ごす時間はほぼ完全に一人です。
わたしは、これはものすごくいいことなんじゃないかと感じています。
一人でいることは、子どもだけじゃなく大人も同じで、人間にとってとても大事なことだと思うんです。
特に子どもにとって、一人の自由な時間は、想像力を成長させるのに欠かせません。
「時間の自由」と「精神的な自由」、つまり、何からも干渉されない一人の時間が大切だと思います。
今の社会は、大人の目が行き届き過ぎていて、子どもが本当に自由に遊べる場所や時間が少なくなってきたように思います。
かつては「遊びの天才」と呼ばれていた子どもたち。
退屈な時間ができたとしても、おもちゃがなくても、自分から何かを考えだして遊びを作り、楽しんでいましたが、今は大人が簡単になんでも与えてしまいます。
また、子どもの安全を守るために、大人は「安心・安全」な環境を考え、用意しようとします。
時にそれが過剰になり過ぎしまい、子どもの自由を奪うことへ繋がる可能性を松岡さんは指摘します。
松岡さん:
今の時代、いろんな経験や子どもが子どもらしくするチャンスが、子どもたちから少しずつ奪われているように思います。
大人にとって、子どもが危ないかも知れないことを分かっているのに、黙ってその様子を見ていることは、ものすごく辛いこと。
それなら、危なくないように大人が先回りした方が、よっぽど気持ちが楽でいられますよね。
でも、そうして子どもを危険から遠ざけることで、子どもが実体験から自分を守る方法を見つけ出すチャンスを失ってしまうことが、ちょっと心配です。
確かに、今まで世話をされ過ぎてそれに慣れている子どもは、突然ポッと放っておかれてしまうと、初めのうちはどうしていいかわからず、困ってしまうかもしれません。
それでも、大人が手出しせずにジッと我慢して見ていたら、絶対子どもは何か自分で考え、行動すると思うんですよね。
東京子ども図書館に通う子どもたちにも、時代と共に少しずつ変化がありました。
そう感じたのは、子どもたちが「今何時?」としきりに聞くようになったから。
松岡さんが東京のご自宅で家庭文庫を始めた50年前は、文庫に時計はありませんでした。
でも、時間を聞く子どもは1人もいなかったそうです。
今は、何時までという制限の中で文庫に通う子どもが多くなってきました。
自由に遊べる子どもたちの時間は、学校や塾、習い事などで、昔に比べどんどん減っています。
また、忙しい大人の都合に合わせて行動している子どもも、少なくありません。
子どもたちは、限られた時間の中で夢中になって満足に遊べているのでしょうか?
松岡さん:
都会では、時間を分単位などにして小刻みに行動しますよね。
今の子どもたちも、大人と同じように小刻みに行動するようになっています。
文庫に通う子どもの話ですが、最初「2時半になったら水泳に行くから帰る。」と言っていた子どもが、だんだん2時5分とか、時間を刻むようになりました。
それから、時間を気にして何度も時計を見たり。
そのうち、子どもたちがみんなミッキーマウスの時計なんかして来るようになって(笑)。
学校から帰ってきて、何時になったらどこへ行って、何時になったら何をしてって、子どもたちはものすごく小刻みに動いています。
それが、子どもたちに悪い影響を与えているように思います。
子どもがそんな小刻みの時間の中で暮らしていると、大きな人間になりにくいような気がして、とても心配です。
子どもは遊ぶことで気持ちを発散させて、満足感や達成感を得ます。
でも、時間を気にしたままでは、集中して遊ぶことができません。
限られた時間の中で遊ばせることは、妙に子どもを器用にさせてしまい、何か一つのことを深く受け止められない心の壁を作ってしまうことになるかもしれません。
例えば、テレビの番組で「戦争についての特別番組」が1時間あったとします。
それを集中して見たすぐ後に、歌謡番組が30分、その後は料理番組が30分、時々ニュースが10分入ったりすると、最初に集中して見た番組に対する感情がどんどん薄れてしまいます。
違う話題を立て続けに見る事で、『関心の持続』ができなくなるのです。
最初の特別番組が、原爆で長い間苦しんでいた人が70年経った今、初めて口を開いて自分の体験を物語るという内容だったとすれば、すぐその後にPOPな音楽が始まったりすると、最初に観たときに感じた戦争のリアリティーが、スーッと後ろに退いてしまう。
「味噌も糞も一緒」という言葉がありますが、そんな風にすごく大事なものと軽いものとが全部一緒になり、同じ平面に並んでいるように思えてきてしまうのです。
松岡さん:
人間にとって、とても大事なものとそうでないものとが、まるで等価値のように扱われるような世の中を見ていると、それが非常に人を貧しくしてしまうと思うのです。
だから、子どもたちが自然溢れる場所に来て、自由に遊ぶことは、子どもの成長にとても良い影響をもたらしてくれることなので、なんとかしてそういうチャンスを作ってあげたい。
けれど、都会のマンションで暮らしていても、親の気持ちの持ちよう次第では、15分刻みで子どもを追い立てずに済むこともできると思うんです。
田舎でも、外に出て遊ばずにお家でゲームばかりやっている子もいます。
都会か田舎だとか、自然があるかないかということだけではなく、どういう姿勢で周りを見ていて、どう時間を過ごし、周りの人や環境とどう関わりあっていくかが大切なのだと思います。
でもやっぱり、虫がたくさんいたり、お花が咲いていたり、空気が良いところへ何らかの形で子どもが来られるといいなぁとは思いますけどね。
幼少期に体験した森の中での遊びが想像力を養う
松岡さんの子ども時代は、第二次世界大戦の影響下にありました。
戦後は、新社会に適合していくために学制改革が行われ、義務教育が6年から9年になりました。
松岡さんは、新しい制度によって作られた新制中学校の第1期生です。
松岡さんが通っていた学校は、初めは商業学校の一部を間借りしていましたが、その後山の上にあった馬小屋を改装した校舎に移ります。
改装といっても元の馬小屋に黒板と机と椅子を入れただけで、床は土のまま、窓には窓枠もガラスもなく、杉の皮で葺いた屋根からは雨漏りがするようなところでした。
また、学校の周辺には戦後不足していた燃料確保のために切り出された木の切り株が、たくさんありました。
そして、戦後間も無くできた制度だったため先生が足りず、授業に先生が来ないこともしばしばあったそうです。
そんなこともあって、放っておかれた時間がたくさんあった学校生活。
その自由な時間と山の環境は、子どもの松岡さんたちにとって最高の遊び場所だったそうです。
松岡さん:
その切り株の一つに、ちょうど馬の鞍のような形をした切り株があったんです。
それを使って、みんなでゲームを考えました。
そのゲームはね、切り株に座った子が自分の行きたい場所や時代を言うと、残りの子がみんなでそれを即興劇にして観せるって遊びです。
江戸時代だったら、みんな「何とかでござる」とかセリフを言って、棒切れを持ってチャンバラをやったりしてね(笑)。
初めのうちは過去の時代を言っていたのですが、そのうちに3千年先の世界に行きたいと言う子が出てきたんです。
それはすごく遠いところだから、30くらい数えないとダメって言って、その子は切り株に座って、「1、2、3・・・」って30まで数えます。
残りの子たちで、「どうする?」「どうする?」って相談していたら、誰かが3千年先の未来では世界中の人の言葉が全部共通になっていると言ったんです。
しかも、その共通言語はとっても簡単な言葉で、「パ」とか「ア」とか「ク」とか一音だけで、それで世界中の人が言いたいことが全部わかる世の中になっていると。
その話を聞き、「よし、そうしよう!」と決まったら、今度は別の誰かが3千年先の世界は今と見た目も違うと言ったので、洋服裏返しにしてみたり、周りに落ちている葉っぱを頭に乗せたりして。
そんな格好をして、すれ違うと「パ」とか「ア」とか言いあうのです(笑)。
こうしてコミュニケーションを取る3千年先の世界を、切り株に座った子に見せてあげました。
まだ、タイムスリップやタイムトンネルやロケットとか聞いたこともない12、13歳の子どもたちが、自分で生み出した世界です。
これはとても素晴らしいことだと、今わたしは思います。
「放っておかれる」ことと「遊ぶ時間がある」こと、「自然」があることは、わたしにとってかけがえのない体験でした。
だから、今の子どもたちがそういう遊びができないのは、すごくもったいないと思います。
朝6時に起きたら、一つテレビ番組観て、朝ごはん食べて、学校行って、帰って来たら塾行って、塾から帰って来たら、またテレビ観て、お風呂入って、宿題して・・・。
幼稚園や学校に通う子どもは、24時間の流れがほぼ決まっています。
その中から遊ぶ時間を捻出するのは、とても大変かもしれません。
でも、遊びは勉強と同じくらい子どもの成長にはかかせない時間です。
知らずにストレスを抱えてしまった時、子どもは遊ぶことで感情を発散させます。
その発散の仕方も、子どもによって違うと思いますが、わたしたちは子どもの感情が発散されていく様子を知っていることが大切なのかもしれません。
松岡さん:
うちの文庫に、木に丸い穴が空いていて、そこにこけしのような丸い人形が入るようになっている木のおもちゃがあったんです。
ある時、二人の兄弟が、それで遊びはじめ、それを自動車に見立てたり、飛行機に見立てたり、船に見立てたりして遊んでいたのですが、見ていると、必ず途中で、衝突したり、沈没したり、墜落したりするんです。
「どうして、そう殺伐なことになっちゃうのかしらね」と思って眺めていたんですけど、散々そうやって遊んだあと、二人は小さな人形を2つ並べて置き「この2人はデートしてるの」といいだしました。かと思うと、たちまち2人は結婚しました。(笑)
そして、最後に「いつまでもいつまでも、幸せに暮らしました!」って言いながら、階段を飛ぶように降りて帰っていきました。
最後の「いつまでもいつまでも、幸せに暮らしました!」っていうフレーズは、昔話の結びのことばですよね、日本なら「めでたし、めでたし」というところ。外国のお話には必ず出てきます。
「お話のじかん」にそれを聞いていたから出てきたフレーズだと思うんですけど、それ以上にわたしは、その子どもたちが衝突したり、沈没したり、墜落したりするようなネガティブなエネルギーを、遊びの中で全部発散してしまった後でなければ、幸せな気持ちのラストに自然にたどり着かなかったと思ったのです。
もし二人が同じように遊んでいて、墜落してから15分ほど経った時に「塾に行かなちゃいけないから、帰りなさい」って言われたら、そのネガティブなエネルギーは解放されてはいないと思います。
今そういうことができていない子どもがたくさんいることが、わたしは心配です。
とことん遊んだり、とことん何かに夢中になったり、とことん自由でいたり、時間を心配しないで自由に何かができることは、わたしは人間の人となりを作るのにものすごく大事なことだと思います。
今回のインタビューの中で印象に残っていることは、絵本の話をしているとみんなが自然に笑顔になっていたこと。
それから、子どもの頃に切り株で遊んでいた思い出を話してくれていた松岡さんの笑顔が子どものように明るくて、とても素敵でした。
本を読むことも自然の中で遊ぶことも、悩んだり、ひらめいたり、悲しんだり、楽しんだり、そんな感情を豊かしてくれる大切なことです。
子どもは、目や耳で自分の知らない世界に触れ、豊かな感情を育てていきます。
子どもが自然や森の中で自由に遊ぶ姿は、きっとわたしたち大人が想像する以上に、子どもにとってかけがえのない経験に繋がると思います。
松岡さんは最後に、よく遊ぶ子どもほどお話を聞くのが上手だとおっしゃいました。
子どもにとって遊ぶことは一番大事なお仕事だから、たくさん遊んでいれば他のこともうまくいく。
そういう体験が本をイメージするのにとても大切だから、子どもたちにたくさん遊んで学んで、豊かな人間になってほしいと松岡さんは願っています。
松岡さんがオススメする自然を感じられる絵本
● ちいさいおうち (作・絵: バージニア・リー・バートン 訳: 石井 桃子 岩波書店)
● もりのなか (作・絵: マリー・ホール・エッツ 訳: まさき るりこ 福音館書店)
● よあけ (作・絵: ユリー・シュルヴィッツ 訳: 瀬田 貞二 福音館書店)
● かぜは どこへいくの (作: シャーロット・ゾロトウ 絵:ハワード・ノッツ 訳: 松岡 享子 偕成社)
● 大雪 (作: ゼリーナ・ヘンツ 絵: アロワ・カリジェ 訳: 生野 幸吉 岩波書店)
● りんごのき (作: エドアルド・ペチシカ 絵: ヘレナ・ズマトリーコバー 訳: 内田 莉莎子 福音館書店)
● はるにれ (作・写真: 姉崎 一馬 福音館書店)