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「人間は300年も生きれない。でも、木は違う。」
長野県木曽の上松町にある桶屋『桶数』。
その2代目である伊藤今朝雄さんは、ゆっくりと話しはじめました。
初代の桶職人であった父親の数馬さんへの尊敬の意を込めて、屋号を『桶数』とし、
会社を立ち上げた今朝雄さん。
3年前に滋賀県大津市の工房での修行から戻ってきた3代目 息子の匠さんと、
今は二人三脚で様々な桶を作っています。

伝統工芸である木桶の歴史は古く、室町時代の終わりの頃からと言われています。
接着剤を一切使わず、湾曲した刃の付いた様々な種類のカンナを使い、
一枚一枚絶妙な円弧で削られた長細い木の板を円形に組み合わせ、
竹などを螺旋状に束ねた箍(タガ)で結い締める形状の木桶は、
江戸時代にはどの家庭でも必ず見ることができました。
今では、価格や保存性、手軽さなど様々な理由からプラスチック製の桶にとって変わるものが増え、
一般家庭では見かけることも少なくなってきた木桶ですが、「木」が持つ特性を生かした桶は、
料理や物作りの職人の世界では欠かすことのできないものも多く、
桶作りの技術は、今も大切に引き継がれています。

味噌や醤油、漬物を作る桶や酢飯のための寿司桶、風呂で使う湯桶やたらい桶、風呂桶など、
用途によって大きさや形状に違いはあれど、作り方はどれも似たようなもの。
最近では、「桶」と「樽」の違いがわからない人も多く、同じように使っていることも増えていますが、
桶屋に言わせると「全く違う」とのこと。(その話は、後ほど)

木曽で桶だけを真摯に作り続けて100年、
桶屋『桶数』2代目 伊藤今朝雄さん、3代目 匠さんから伝統を引き継ぐ家族のお話、
桶のある暮らしについて伺いました。

3代受け継いできた『桶数』の技術と職人の心意気

今朝雄さんと匠さんは、生まれも育ちも上松町です。
初代の数馬さんは千葉県で生まれ、12歳から親の勧めで東京の深川で桶作りの修行を重ね、
より良い材を求め、桶の材料に最適なサワラが豊富な木曽の上松町に移住したのは、
今朝雄さんが生まれるずっと前のこと。
数馬さんは、生涯桶づくり一筋、桶職人として初めて県から表彰されるほどの腕の良い職人でした。
元々、木曽にも桶を作る桶屋がたくさんあり、桶職人も多くいましたが、
腕利きの江戸職人たちの中で修行を積んだ数馬さんは、木曽でも一目置かれる存在だったそうです。

桶数の店内には、数馬さんの写真がたくさん展示されていて、
もう手に入れることはできない数馬さんの作った桶も飾られていました。

そんな数馬さんの仕事を近くでずっと見ていた今朝雄さんですが、
子供の頃は「桶屋にだけはなるまい」と思っていたそうです。
数馬さんの作る桶だけでの生活は苦しく、近くの農家や土場へ働きに出たり、物を手放したりして、
生活費を工面する母の苦労を知っていたからです。
両親も「こんな苦労は私たちだけでいいから、息子たちは勉強していい大学に行き、
いい会社で勤めて、安定した生活を送って欲しい」と願っていました。

「兄弟二人いると、どちらかはやっぱり脇道に逸れるもんだね」と、今朝雄さんは笑います。
一度は上京し、東京で生活を送っていましたが打ち込めるものは東京にはなく、
桶職人の道へ進む決心をして、上松に戻りました。
昔から、周囲が認めるほど手先がとても器用だった今朝雄さんは、どんどん技術を習得し、
大阪や東京のギャラリーや百貨店で桶の個展を開くほどの腕前の職人となり、
県から「信州の名工」として表彰されています。
桶職人を志した頃から、数馬さんだけでなく、木曽周辺にいた多くの職人の技を受け継いできたことで、
今となっては、手のひらサイズの小さな桶から、
大きな風呂桶や何百キロとなる味噌桶まで作れる唯一無二の桶職人です。

そして、まだ若干24歳とは思えないほど落ち着いた雰囲気のある3代目 匠さんは、
跡取りとして、子どもの頃から周囲の大人にかわいがられ、
桶作りの職場を身近に体感してきたことで、
中学校や高校でも職人として役立つであろう木工の技術や加工などの学科を専攻し、
高校卒業後も迷わず桶職人の道へ進みました。
『匠』という名前は、父と祖母がつけてくれた名前だそうです。
今朝雄さんの紹介で、滋賀県大津市にある中川木工芸で修行をし、京職人の桶作りの技術と、
これまでにない新しいデザインの桶作りへの挑戦や進化していく大切さを学び、
3年前、桶数へ戻ってきました。

数馬さんが上松に移住した頃にはたくさんあった桶屋も、今では桶数ともう一軒のみ。
「口で教えることはしない。」と今朝雄さんは言います。
技術の伝承は、昔から教わるものではなく、目で見て自分なりに考え、
手を動かし続ける毎日の積み重ねの中で、
求め続ける心があってこそ受け継いでいけるものなのもかもしれません。
その受け継がれていく伝統には、技術だけでなく精神や哲学があり、
そこに伝統工芸の大きな魅力を感じました。
桶数は、初代から受け継いだ150〜200もの道具と天然乾燥の木にこだわり、
伝統的な木桶を作り続けている背景には、
技術を受け継ぐ難しさの先にある面白さと豊かさがあるように思いました。

(前編はここまで)

後編では、今朝雄さんと匠さんのそれぞれが作っている桶についてお伝えします。
今朝雄さんが目指した、機能的で美しい木の風呂桶の秘話、匠さんから見た木桶と食の関係のこと。
つくる人の思いと木の特性を生かした桶の使い方を教えてもらい、
木桶がある暮らしの背景に、家族の繋がりを感じました。
ぜひ、ご覧ください!

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